ある日FUKUSUKEでかかっていた曲に「マジでヤバい!」と感じ、すぐに「これは誰ですか?」と聞いた。
するとこれはベーシストの山口和与さんのアルバムで、『ツェーモール』というタイトルなのだという。この作品では和与さんはベースではなくピアノを弾いており、ベースは山口雄三さん、アルトサックスには宮野裕司さんが参加しているのだ、と。
家に帰って検索してみたのだが、どこで買えるのかまったくわからないどころか、そもそもアルバムの情報自体まとまったものが全然見当たらなかった。この大インターネット時代に!
かろうじて紹介していたものの一つはFUKUSUKEのマスターのブログで、もう一つはこのアルバムのトリオでのライブに参加することになった吉澤はじめさんのブログだった。しかもそのライブFUKUSUKEでやったやつだったし。そんなことある?FUKUSUKEでしか聴かれてない音楽なのか??こんなに素晴らしいのに!
ありとあらゆるものが並列にサブスクリプションの中に埋め込まれてしまう今の世において、このようなあり方はある種強烈なアンチテーゼと言えなくもないし、プレゼンの仕方によってはこんなエピソードも神秘のヴェールとして機能しうるのかもしれないが、それにしたっていくらなんでもあまりに知られてなさすぎである(和与さんに知らしめる気がなさすぎる)。
2000年代前半に自主制作で作られたこのアルバムは、一見朴訥としてあたたかな趣だが、その実研ぎ澄まされた達人の技で構築された、美しい建築や絵画のような凄みがある。天才的だしめちゃくちゃハードコアでヤバいものだと思う。シンプルな編成で、少ない音数で、こんなにも深く豊かなものを描けるのだという、いわばless is moreの極みのような世界。和与さんの作る曲の抒情性や風景喚起する力を(映画音楽からの影響を聞いてみたいところだ)、宮野さん山口雄三さんがこれしかないという演奏で支えている。宮野さんのサックスの音色はまじでとんでもないと思う。あんな人他にいません。
こんなことを安易に言うべきでないのはわかっているけど、自分にとってこのアルバムはある種の「真実」のようなものに触れてしまっている。より穏当な言い方をするなら極めて(extremely)まっとうで正直な音楽であって、この作品の素晴らしさをまともに評価できない世の中なんて、所詮ニセモノでしかないと思ってしまうのである。
ちなみに和与さんのソロアルバムとしては他にも『c dur』『metonymy』『mezzo piano』『potato jam』があり、それらもまたどこかで改めて紹介されるべきだと思う。
2025.11.15 Sat